臨床心理士が伝えたい心のお話

臨床心理士としての臨床経験から不安や苦しみを紐解いてみます

発達『障害』の意味するものとは

法律にある『障害』の定義

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障害者基本法

 (定義)から
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
 一 障害者 身体障害、知的障害、精神障害発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。
 二 社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

 

『「障害」は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているもの』とされています。

 

 つまり個人の特性や機能的性質が、日常生活や社会の中で、社会的障壁によってその個人が苦痛を感じたり困った事態に直面している状態、と読み取れます。

 

 『社会の障壁 』に対応するのが『合理的配慮』

障害者基本法

(差別の禁止)から
第四条 
2 社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによつて前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない。

 

その個人が日常生活や社会で何を「障壁として」困っている状態にあるかは、個人的な視点によるところが大きいでしょう。

それ故、求められる合理的配慮は多岐にわたり、対話による相互理解を通じて必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるもの、とされています。

 

【障害者の権利に関する条約】

 (第二条 定義)から

合理的配慮」とは、障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。

 

そして、教育の現場での合理的配慮の提供として考えられる事項は、

文部科学省HP

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1297380.htm

に明記されています。 

 

子どもが『発達障害』かもしれないと思った時に向き合うものとは

「障害」という言葉に対して、人によっては大きなダメージを心に刻みます。

カウンセリングでは大切なテーマになりますが、主観的な捉え方に左右されるものでもあります。

子どもの発達障害の可能性を視野に入れた時、この主観的な「障害」に対するイメージや受け止め方について、ここでは記述を避けたいと思います。

では法律に沿って考えた場合、客観的に向き合っていくのは「社会的障壁」と「合理的配慮」になっていくかと思います。そしてここに丁寧に向き合うことができれば、「発達障害」という名称は必要がないのかもしれません。

しかし、逆説的ですが、丁寧に向き合うためには「発達障害かも」という視点は必要だと考えています。

なぜなら、"みんなとは少し違う”、"年齢相応ではない”、"問題行動を起こす”といった事柄を、気持ちや意思の問題としてではなく、機能的なことに起因するものとして見ていくことが、本人にとっての必要な対応につながる可能性が大きいからです。

そのように見ることは、「困った子」ではなく、「何に困っているのか」という視点で見ることにつながります。

 

*このブログは臨床心理士としての経験的側面から書いています。医学的診断や根拠を上回るものではありません。

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