発達障害 子ども編 「宿題をやらないのは怠けているだけ?」①判断が抜けるということ
子どもの「問題」には、よく目を向けることから始める
友だちとのトラブルや情緒的問題、教室での落ち着きのなさや盗みなどの問題行動、あるいは宿題をやらない、やるべき事をやらない、といった日常的な子育ての悩みなど、子どもを育てていると困ったことや不安、心配事は尽きないものです。
親が困っていること、親がどうにかしたいと思っていることがあって、その問題を解決したいと思ったら、まずは子どもがなぜそのような現象を起こしているのか、その原因や理由に意識を向けてみます。
例えば宿題をやらない、、一見怠けているだけに思われる子どもによく目を向けてみます。
・宿題の内容が理解できない。
・反抗してやらない。
・不安や心配があって勉強が手につかない。
・やろうと思ってるけど、やり始めると他のことに気をとられる。集中し続けることができない。
・宿題をやること自体を忘れる。
・夜遅くなって切羽詰まらないとやらない。
・何から手をつけてよいのか分からない。
・宿題をやらないことに罪悪感がない。
・ゲームなどやりたいことに夢中になって、めんどくさい宿題はやらない。
「宿題をやらない」ということでも、なぜやらないのか、その原因や理由は子どもによって様々です。
そして、その原因や理由からさらに背景にあるものを推測していきます。
「問題」の背景にあるものは、目にはうつらない
さて、「宿題をやらない」ことの原因として、ここでは次のことについてみていきます。
やろうと思ってるけど、やり始めると他のことに気をとられる。集中し続けることができない。
これは子どもだけでなく、大人でもよくあることです。例えばやらなければいけない仕事があると急に片付けを始めたくなるのは、逃避行動とも言えるでしょう。
ですがここで区別したいのは、それが逃避行動なのか、あるいは他のことに気を取られた結果なのか、ということです。
他のことに気を取られた場合、別の言い方をすれば自分の興味ある刺激に反応し、結果的に集中が別のもの移った、ということになります。
・宿題に取りかかり始めると、ドリルに描いてある絵が気になって色を塗り始める。
・宿題をしているにも関わらず、外の声が気になって見に行く。
これは、本来集中するべき宿題から、色塗りや外の声に集中が移ったということです。
よくある子どもの光景かもしれませんが、それが「いつも」だったり、「ずっと」で、結果的に宿題をやらない、つまり日常生活に影響を与えるほどなら、刺激に反応する度合いが高いと言えるかもしれません。
「宿題をやらない」という一つの事象だけで判断することはもちろんできません。
例えば、
・時間割をそろえている間に何か気を取られ、持ち物の忘れ物が多い。
・気になったり、思いついたと同時に、状況に関わらず話し出す。
・自分の物ではないにも関わらず、欲しいと思った物を取ってしまう。
それら(あくまでも例ですが)がよくあり、場面に沿わないことが多く見られるなら、自分の興味ある刺激に反応しやすく、そのことに自制が効かない傾向があると言えるかもしれません。
つまり、自分の興味ある刺激が目の前にあれば、それに対して反応することを止めるのは難しい、ということが問題の背景として考えられます。
やらないのか、やれないのか、
やろうと思えばできるはずだ、やる気がないだけだ。
周りがそういう気持ちになるのはもっともなことです。実際本当にやらないのか、やれない(この場合、能力的にできないということは除きます)のかを見分けることは難しいでしょう。
先に書いたように、他の場面や状況ではどうか、という事を複合的に見ていくことが必要です。あるいは子どもの表情に目を向けてみると違いが分かるかもしれません。嫌々やっている時や面倒くさいと思っている時と、何かに気を取られている時の表情は、きっと違うでしょう(必ずしも、ではありませんが)。
そしてもし、やる気の問題だけでなく、興味ある刺激に気を取られる傾向が強ければ、本人の意思の力だけでやるべきことに集中し続けるということは、とても難しいことです。
というのも、刺激に即反応するということは、その間にある「判断」が抜けているかもしれないということだからです。
「外で声がして気になるけど、見に行ったらいつまもでも宿題が終わらないからとりあえずやってしまおう」
これが、「判断」です。
「判断」をする力があれば、例え興味ある事が目についても、反応する前に思考が働きます。そして自分の中で取捨選択をし、結果的に集中し続けることを選ぶこともできます。
しかし「判断」は、意識してしようと思ってもなかなかできるものではありません。判断を忘れないようにしようと思うことができるくらいなら、初めからそうしているでしょう。
そういった意味で、やらない、のではなく、やれない、ということが当てはまってくるかもしれないのです。
刺激と反応の間に「判断」があるかないか、ということは、その後の行動や集中にも大きく影響を与えるだけに、子どもを見る上で重要なポイントとなるでしょう。
「判断が抜ける」を『発達障害』の視点から見てみると
この状態を『発達障害』の視点から見てみると、(もちろん、このような傾向があるから発達障害である、と当てはめるものではありません)『注意欠如多動症(ADHD)』の見立てや対応が役に立つのではないかと考えます。
発達障害について⇒【厚生労働省㏋https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_develop.html】
「宿題をやらない」という一つの事象からは多動については分かりませんが、「判断が抜ける」という点においては、衝動性と不注意の両方の視点が子どもへの理解と対応の参考になるのかな、と経験的には思っています。
発達障害の視点から対応を考えるということは、意思や気持ちの力でどうにかしようとするものではなく、具体的な対処法を子どもにすり合わせていくという作業になっていきます。
これは、「あんなに言っても分かってくれない」「何度言ってもなぜできないの」などといった親のストレスを少しでも減らせることにもなります。このことの影響は子育てにとってはとても大きいと思いますが、これについてはまた書きます。
「判断が抜ける」ことにどのように対応するのか
刺激と反応の間に「判断」する力をつけていくことは、長期的な展望ではとても大切なことです。ですが、気づかせることに懸命になるより、他の代替案を考えていく作業に切り替えていく事も大切です。
思いつく、という事を教えてすぐに習得させることはかなりハードルの高いことです。それをしようとする事で親子双方にストレスがかかり、信頼関係や自尊心といった事が損なわれるのであれば、本末転倒です。
これは長い時間をかけて、そして本人の性格に合わせて、あるいは親の子育ての価値観にも照らし合わせながら、試行錯誤して積み上げていくものです。
では、どのような対応がすぐにできるでしょう。
・反応しそうな刺激をなるべく減らしていくという環境面から整えていきます。
・やるべきこと(やりたいこと、ではなく)、宿題そのものが反応したくなる刺激になるようにすることができれば理想ですね。
・時には学校の先生に協力してもらいながら、宿題のやり方を変えていくという選択もあるかもしれません。
・宿題そのものに本人にとってのモチベーションがなければ、別のモチベーションを用意することで、結果的に宿題をやるようにさせるという方法もあります。よく使われるのが、トークンエコノミーという手法のポイントシールです。
これについてはまた詳しく書きます。
「判断が抜ける」ことを親子で共有する
上記のようにやらない、のではなく、興味ある刺激に反応しているだけ、の状態にある子どもは、自分の行動が悪いと思っていないのではないでしょうか。
故意にサボっているのではなく、興味ある事に心惹かれている状態です。
ですから、それをいつも叱責される子どもは、自分は思わぬところでいつも親に怒られる、自分ではどうにもならないところで怒られる、自分が楽しんでることを怒られる、ということが日常になります。
親からの評価は、子どもの自分自身の評価となっていきます。
自分はダメなんだ、自分が楽しいと思うことは人から怒られることなんだ、どうしたらちゃんとできるか分からないからどうしようもない。
このような自己否定的なイメージを自分自身として自分の中に刷り込んでいくかもしれません。
もし、「判断」が抜けて興味ある刺激に反応しやすいのかもしれない、と思い当たるのでしたら、まずはその事を子どもと共有してくことが第一歩になるのだと思います。
その上で、解決法を一緒に考えていきます。親子でこうした共同作業をしていく過程で、否定的にとらえられがちな子どもの側面を、子どもの一つの性質としてとらえ、子どもが困りそうなら対処していく、といった生きる術の獲得へとつなげていきます。
これについてもまた詳しく書きます。
*このブログは臨床心理士としての経験的側面から書いています。医学的診断や根拠を上回るものではありません。